「時に海を見よ」

Blog カナリヤの声

7月5日 NHKラジオにて朗読より 立教新座高校 校長 渡辺憲司さんの卒業生に贈るメッセージがHPに掲載されると、全国から「感動」の声が上がり話題となっていたそうです。 埼玉県の立教新座高校の卒業式が東日本大震災のため中止となった。北海道の函館で海を見ながら育った自身、高校3年の時に父を亡くし、母と上京したため卒業式に出られなかった経験があった。 3月15日、教え子の顔を直接見て伝えられないもどかしさから、長文のメッセージを書き、学校のホームページに載せたところ、インターネット上で、翌日から話題となった。 そして、この程、著書となって出版されました。  『時に海を見よ これからの日本を生きる君に贈る』(6月15日双葉社発行、1200円) 「時に海を見よ」立教新座高校 校長 渡辺憲司さんのことば より一部掲載 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。  いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。 貧しさを恐れるな。 男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。 「真理はあなたたちを自由にする」 ヨハネによる福音書8:32 一言付言する。 歴史上、かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。 原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。