医師 中村 哲 氏 の講演より

Blog カナリヤの声

先の会報でお知らせのとおり、当会の会報17号で紹介の医師 中村哲 氏と、18号に掲載のホセ・ムヒカ氏が、今年度の「KYOTO地球環境の殿堂」で表彰されました。表彰式後の国際シンポジウムに参加して、中村 哲 氏の講演を聴いてきました。 その概要をお伝えします。残念ながら、ムヒカ氏は健康上の理由にて欠席となり、表彰式で参加者にビデオメッセージを伝える案内が告知されていました。 2月11日(土) 京都国際会館にて国際会館SS.jpg環境保全に貢献した人を表彰する「KYOTO地球環境の殿堂」表彰式が行われました。「KYOTO地球環境の殿堂」は、「京都議定書」誕生の地、京都から世界で地球環境の保全に多大な貢献をした人の功績を讃え永く後世に伝えるために、京都府や京都市、環境省ほか研究機関等で構成する運営協議会により、2010年度に創設されています。8回目の今年度は、「国連持続可能な開発会議」 (リオ+20)での名スピーチと京都地球殿堂パンフS.jpg「世界でいちばん貧しい大統領」の実践で知られる南米ウルグアイ前大統領のホセ・ムヒカ氏(81)、40数年前から来日、滞在17年間、日本の大学で研究、独自の風土論を展開し日本理解に大きく貢献したフランスの地理学者、オギュスタン・ベルクさん(74歳)、戦争・動乱と難民、干ばつのアフガニスタンで医療活動と水利事業、農村復興などに取り組む(NGO)「ペシャワール会」の現地代表で医師の中村哲さん(70歳)の3人が選ばれました。
 砂漠に緑を蘇らせた医師 中村 哲 氏 の講演概要長年にわたり医療活動を続けてきた医師・中村哲 氏とアフガニスタンの出会いは、今から32年前に遡って、話が始まった。この間に起きた、戦争、難民、飢餓、2000年からの大旱魃(かんばつ)、そして、その渦中で生きる人々の生死と共にここまで来たという、これまでの活動を紹介された。1984年、国際医療NGOの医師としてアフガニスタンの隣国パキスタンに派遣されハンセン病診療へ赴任、そこで戦乱の続くアフガニスタンから逃れてきた難民たちに出会った。ふるさとに戻っても医師も診療所もないと知った。医療関係者なら、この状態を見て目の前で困っている人を見捨てるわけにはいかない。1991年、アフガン東部無医地区に診療所を開設し医療活動を始めた。 医者用水路.jpgしかし、2000年の夏、歴史的な大干ばつで水不足となり、農業にも壊滅的な打撃を与えた。水不足と食料不足で、毎日、多くの子どもたちが命を落とし、多くの人が水不足のために病気に罹患、全国で400万人が飢餓線上をさまよっていた。 この大干ばつを機に、中村氏は医療より「命の水」が先と決断した。水利事業を中心に活動を続けて17年、人々の暮らしが回復するまでに至った軌跡を画像で紹介。長い戦乱状態にあるアフガニスタンで、戦火と共に人々を苦しめているのが「干ばつ」です。いまでも国民の3分の1の760万人が食料不足に苦しんでいると語った。 さらに、中村 哲医師のおわりの言葉が響きました。乾いた大地で水を得て、歓喜の声を上げる人々、羊や小鳥も集う水辺で遊ぶ子供たちの笑顔に、はちきれるような生命の躍動を読み取れるのは、我々の最大の喜びである。そして、これらが平和の基礎である。「経済力や軍事力で何かが解決するという錯覚は捨てるべきだ」と語った。 皆さん、必要なのは武器や軍隊ではありません。大事なのは生きることです。命こそ大切なのです。この機会を通じて活動が広がり、何らかの解決につながってほしいと伝えた。 中村哲 本S.jpg「医療・治療より命の水が先」と、白衣を脱ぎ、自らツルハシを握り重機を動かして黙々と用水路を掘り続け、枯渇した大地に一面の緑の農地を蘇らせ、人々の「平和な生活」を復興させた15年の記録から、聴く人々に、戦乱と干ばつの地に真の平和をもたらす物は何であるのかを導く内容であった。数々の苦難を乗り越えて用水路に水が流れ始めると、枯渇した大地が広大な緑の農地へと蘇り、人々の穏やかな暮らしが戻り始めた奇跡のような光景が、武器や鉄砲ではなく水が取り戻した平和であると見入り、多くの人びとに命の水と農耕の恵みを運んだその偉大な貢献の実績に感動・感服しました。不毛の大地から水と緑の環境を創成し、自然と共に生きる術を維持するための壮大な事業を成し遂げた医師 中村 哲氏 は 病の背景となる問題を解決して人の命を救い育む崇高な科学者であると聴き入った中でも、特に下記の話が心に響きました。“命の水源を確保する「緑の大地計画」”その着想は日本の<筑後川の山田堰>川から水を引き込む着想は、日本の江戸時代に建設された中村 哲 氏の故郷、福岡県の筑後川の山田堰であったという。200年以上前に完成し、現在も暴れ川と呼ばれる筑後川で崩れることなく1年を通じて安定した水量を用水路に送り続けている。重機もない時代に、どうやって先人たちはこの堰を築いたのかと、医師が建設技術に取り組み苦難の末に実現した。そして、用水路を現地の人たちが維持・管理していけるように、江戸時代から日本で使われていた伝統的な治水技術「蛇籠」の工法を取り入れた。その強度はコンクリートに劣らない。石と鉄線さえあれば造れるため、壊れてもアフガン人自ら補修できる基盤ができた。アフガニスタンでは自分たちの家、畑の垣根など全部自分たちで石で造るなど日常生活の中に石造りが溶け込んでいる。40度を超える炎天下でも石工のように働き続けるアフガニスタンの人々の力が大きな力となると見通した計画。<後継者づくりを進め、今後は自力で建設に向ける養成>今後は、用水路の建設計画をアフガニスタン全土に広めるため、用水路建設の専門家を育てる職業訓練校を設立する計画を進めている。
*当日は写真撮影禁止のため映像は掲載できなくて残念でですが、 「ペシャワール会」のウェブサイトで活動記録を閲覧できます。http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/*会場前ロビー側の外の庭園に喫煙所があり気になっていましたが、講演会が始まって暫くすると、目と鼻、喉が痛く頭痛が起きて、何人かの人が咳をし始め、まさしくタバコ煙ガスの苦痛を感知して、シンポには参加せず退場しました。こちらも残念でした。