予感は的中~再び巡ってきた春に

Blog カナリヤの声

昨年3月25日のブログ「カナリヤの声」~春は名のみの風の寒さや~の予感どおり、5月には、「あったもの(文書)をなかったことにはできない」と公正公平であるべき行政のあり方を示す勇敢な「ウグイス」の声が轟いても、「聴く耳がなければ正義は届かず」でした。 そして、再び巡ってきた春に新聞報道が発端となって疑惑が急浮上した今月初め、 この先は、一連の交渉を担当していた職員が心配だと考えていました。 
7日の北野天神詣の際も案じていましたが、昨夜、それが現実となったニュース記事を読んで驚き憤りました。所属の担当職員は指示に従って実行したのであれば、指示した者が追及されるべきなのに、不憫でなりません。真実を伝えた人が保護される制度を機能させなければ、被害は繰り返されるのではないかと危惧の念が募ります。国の実体が露わになったような様相に憂えるだけでなく、国の資産に関わる公用文書毀棄や証拠隠滅の容疑など不正の発生根拠をしっかり見据えたいと思います。 昨年来、名門企業で何十年も続けてきた不正が続出するなど産業界にも起きていることは、私たちの居住生活の現場にも及んでいます。 「政治は国民を映す鏡」であれば、次の世代に安心して暮らせる社会を繋ぐためにも、今を生きる私たちが確かな目と耳を備えて、嘘、偽装のない選択をすることが基盤となります。 
(2017年3月25日ブログ 「春は名のみの 風の寒さや」)
(2017年3月14日ブログ 「嘘・偽装・隠蔽が蔓延する社会で」) 

「政治は国民を映す鏡」 サミュエル・スマイルズ著 『自助論』 より 
一国の政治というものは、国民を映し出す鏡です。 政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされます。反対に、政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていくでしょう。 
 「立派な国民には立派な政治、無知で腐敗した国民には腐り果てた政治しか有り得ない」 ということです。